和歌山有田川流域の仏像 その2

平成29年1月21日から和歌山県立博物館で開催されている企画展
有田川中流域の仏教文化-安楽寺多宝小塔修理完成記念の報告第二段です。

法福寺の仏像群
平安仏が33体ゴロゴロ発見!!
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観音菩薩立像 113.0cm 平安時代10世紀 町指定重文
宝冠を着けた観音菩薩像
一木で内刳を施していないので重量感を感じます。
堂鳴海山に所在した古代寺院の本尊像の可能性がある。
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地蔵菩薩立像 98.9cm 平安時代10世紀 町指定重文
こちらも一木で内刳を施していない。
前に出した右手先も体部と同木で、錫杖を持つ地蔵菩薩の早い時期の作例
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吉祥天立像 73.8cm 平安時代9~10世紀 町指定重文
手に鍵を持つのは本来は辨財天だがお寺では吉祥天として伝わる。
宝珠を持っているので吉祥天としては間違いではないそうです。
両袖に表された渦巻文様が立体的でがっしりとして重々しい。
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虚空蔵菩薩立像 84.9cm 平安時代10~11世紀 町指定重文
現在は虚空蔵菩薩として伝わるが着衣形式は天部のものなのでもともとは吉祥天や
梵天であったと推察される
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二天立像 85.9cm(増長天) 84.4cm(持国天) 平安時代11世紀 町指定重文
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鉈彫りで粗く作った邪鬼も造像当初のものと見られ貴重である。
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地蔵菩薩立像 98.9cm 平安時代11世紀 町指定重文
右肩を出して、その手で右袖をつかんでいる珍しい姿の地蔵菩薩像
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千手観音立像 97.5cm 平安時代11世紀 町指定重文(パネル展示)
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菩薩形立像 89.4cm 平安時代11~12世紀 町指定重文
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毘沙門天立像 84.7cm 平安時代11~12世紀 町指定重文
頭上の兜に目と鼻が表されています。
九州地方に類例が見られるものです。
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広目天立像 室町時代 町指定重文
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阿弥陀如来及び二十五菩薩像 平安・鎌倉・江戸時代 県指定文化財
平安時代の二十五菩薩が現存しているのは国内でも3例しかないとのこと。
京都の泉涌寺即成院、岩手の松川薬師堂があるぐらいで即成院は15体は江戸時代の補作、
松川薬師堂はすべて破損し断片のみ残っている。平安時代の菩薩像が18体も残っている
宝福寺は相当、貴重なものであることがわかる。
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今回はその中から2体、大威徳王菩薩立像、金剛菩薩坐像が出展されている。
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阿弥陀如来坐像 61.4cm 平安時代12世紀 町指定重文 (パネル展示)
本堂に安置されている本尊像
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二天立像  65.8cm(増長天)68.5cm(多聞天)平安時代12世紀
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これほどまでの味のある表情の平安仏はそういないと思います。
時間をたっぷりかけ、博物館でお会いされることをお薦めします。
是非、和歌山県立博物館の有田川流域の仏像に会いに行ってください。
期間は3月5日までです。
なんとすべて撮影可能という仏像写真ファンには嬉しすぎる博物館です。



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和歌山有田川流域の仏像 その1

平成29年1月21日から和歌山県立博物館で開催されている企画展
有田川中流域の仏教文化-安楽寺多宝小塔修理完成記念を見学しました。
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当日は主査学芸員の大河内先生による講座を拝聴し、知らないで見ているとただの
地方仏が、実は大変面白いもので、また仏像から地域の仏教文化が読み取れるという
推理に似た面白さを体験させていただきました。
館内の写真撮影OKといのも写真好きには嬉しいです。
聞いた講座といただいた資料を元に簡単に案内しますが間違っていたらごめんなさいです。
実際に見学していただくことをお勧めします。
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高野山を源流とする有田川(元は阿弖川:あでかわ)流域は当初は安諦郡(あでぐん)と呼ばれていたそうですが時の平城天皇の名前(安殿親王:あでしんのう)と同じ読みであることから現在の有田郡に改められたそうです。
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高野山に近いこの地域、実は高野山の荘園ではなく京都のお寺が支配していたそうです。
ここは高野山にとってどうしても欲しい土地(悲願の土地)だったようで、そこから今では考えられないようなお寺&お坊さんの血なまぐさい物語が始まるのです!!
なんとこの土地は弘法大師が高野山開創の時にもともといた丹生明神から譲り受けた土地であると絵図や書物に記載し正当性を訴えています。
この話はとても怪しく、この土地が欲しくて仕方がないので勝手に作った作り話のようです。
僧兵も三千人くらい雇っていたので、領地(荘園)を広げることは死活問題だったのかも
しれません。
うまく朝廷に働きかえ領地を取ったと思ったら、京都のお寺にまた取り返されたりと
鎌倉時代までずっと揉めまくっています。
最終的には荘園を支配していた地頭(湯浅氏)にうまく近づき味方につけやっと高野山領になると手のひらを返して湯浅氏を攻め滅ぼそうとします。
結局、滅ぼすことはできず、南北朝時代に湯浅氏を地頭にしたままで高野山領となったようです。
いわゆる湯浅氏の中間搾取がいやだったのでしょう。全部欲しいといことかもしれません。(笑)
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安楽寺
今回、修理を終え美しい姿に甦った安楽寺多宝小塔が何故、存在するのか残された仏像から読み取ることができました。
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多宝小塔自体は南北朝時代の建立で国内に残っている多宝小塔の中でも最古級で最も質が高く単独建造物では唯一国の重要文化財に指定されています。
建物四面の内、正面部分だけが他の面よりも圧倒的に木の腐食があり、一般的に堂内に祀られているのではなく鞘堂の中に正面部分を開放されていつでも外から拝めるようにしていたことが分かったそうです。
ここにも読み取れる歴史があります!!
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ただ、中に本尊として祀られている大日如来像はまったく語られることもなく未調査のままだったようです。
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こちらの大日如来は平安後期11世紀ごろの造像で高さも20.6cmと小さなお像です。
一般的には多宝塔に祀られる大日如来は智拳印を結んだ金剛界のものになりますが
こちらは定印を結んだ胎蔵界の大日如来。
では何故、胎蔵界なのか?
それは高野山の大塔(五間四方の大きな多宝塔のこと)の本尊がまさしく胎蔵界の大日如来で高野山の宗教的シンボルの例に倣ったものと考えることができます。
ちょうど多宝塔が建立された南北朝時代は、この土地が高野山領になった時と重なります。
領民に知ら示すためにも高野山領である大きなイメージと権力の象徴のためのものだったと推測できます。
そんなことを小さな大日如来さんから読み解くことができます。
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こちらは安楽寺と書かれた扁額
ここでも面白い発見があったようです。
扁額と多宝小塔の床板が同じ木から作られたことが解体修理で判明しました。
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阿弥陀如来坐像 87.5cm 平安時代12世紀 町指定重文
京都のお寺(寂楽寺)が支配していた時に京都の仏師が関与して造像されたと考えられる。
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観音菩薩立像 69.3cm 平安時代12世紀 (初公開)
阿弥陀如来坐像と作風も共通しているので三尊として造像されたと思われる。
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台座も平安時代当初のもので貴重なものである。
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四天王立像 平安時代から室町時代 初公開
異なる二組の二天像からなる四天王で増長天・持国天は12世紀の作
こちらは造形からも在地の仏師の作と考えられる。
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色は塗りなおされているが、この地域に伝わる四天王の味わいを感じ取れる。
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薬師如来坐像 日光菩薩立像 平安時代12世紀 町指定重文
(パネル展示)
安楽寺の本尊とその脇侍像
ただ、寺号のごとく本来の本尊は阿弥陀如来と考えるのが正しく、もとは消失した東光寺
の本尊像であったと考えられる。
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下湯川観音堂に伝わる仏像
調査すると平安時代の仏像がごろごろあった
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観音菩薩立像 69.3cm 平安時代 パネル展示
観音堂本尊で在地仏師の作と思われる。
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阿弥陀如来坐像 44.4cm 平安時代11世紀 初公開
平安時代末期に造られた、きりりと整った風貌が特徴の新発見の阿弥陀如来
小さな像であるが端正な顔立ち、残念ながら腐食が激しく印相が確認できないが
台座に南無阿弥陀仏と墨書されているので阿弥陀如来として伝わっています。
像のそこには「運慶作」と記されています。
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確かに運慶作としたくなるほどのよい仏像である
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二天立像 71.5cm 73.1cm 平安時代11世紀 初公開
湯川川流域の最古の像とのことです。
板光背も平安時代のもので裾の部分(裙)が足元まで広がっているのは
かなり古様のようで目が飛び出している特徴などを考えると9世紀から10世紀まで
遡れるのではと議論が出ているそうです。
個人的にはこの二天、ものすごく惹かれるものがあります。
なので視点を変えて何枚かご紹介!
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僧形坐像 17.7cm 室町時代15世紀 初公開
こちらも腐食が進み痛々しいお姿である。
僧侶の姿が彫られたものだが、台座が蓮であるが本来、僧侶の像が乗ることはないそうです。例外としてはお練り供養があるとのこと。
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當麻寺に伝わる来迎会(練供養)では先頭を歩く観音菩薩の手には蓮台に座った往生者(中将姫)の姿が見える。
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また、菩薩面の髻(もとどり)部分も残っており、この僧形坐像は来迎会の練供養に
使用されたとう推測ができる。
当地の老人に聞いてもだれも過去に練り供養があったという話は聞けなかったようです。
ここに来迎会があったとすると高野山麓では2例目の発見となるそうです。
こちらも腐食の進んだ僧形像が私たちにメッセージを伝えているのかもしれませんね。

牛連寺
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破損仏群 平安時代12世紀
牛連寺護摩堂内に伝来した小さな破損仏
今から850年くらい前の仏像が頭や手足を失いながらもの
守られています。
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これ以外のも法福寺には平安時代の仏像がごろごろ安置されていたようで
別に報告させていただきます。
今回なにげない古い仏像からこの地域の歴史、伝承を裏付ける推測が成り立ったこと
「仏像は語っている」ことを感じました。

是非、和歌山県立博物館の有田川流域の仏像に会いに行ってください。
期間は3月5日までです。
なんとすべて撮影可能という仏像写真ファンには嬉しすぎる博物館です。

その2に続く!






岐阜の仏像 三田洞弘法の両頭愛染明王

岐阜市内から北へ5キロくらい北上したところにある高野山真言宗の法華寺を訪ねた。
一般的には三田洞(みたぼら)弘法さんとして親しまれている。
今回のお目当ては両頭愛染明王さん
異形好きにはたまらない明王様です。
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山号は霊鷲山(りょうじゅせん)、まさにお釈迦様がインドで法華経を説いたといわれる山の
名をいただく名刹である。
ちょうど紅葉がきれいな時期でよかった。
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この石仏もいい感じ。
この方はなんという仏さまなのだろう?
台座の蓮弁おあたりに馬とかいてある。ということは馬頭観音か?
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紅葉のトンネルを抜ける。いい気分
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朱塗りの山門
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立派な池庭の奥に本堂があります。
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本堂外陣の天井絵
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中にご本尊の阿弥陀如来さまを祀る厨子がある。秘仏のようだ。
7-2阿弥陀如来立像
こちらが本尊の阿弥陀如来立像、岐阜市の重要文化財に指定されている。
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本堂からの景色
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ついにお目当ての不動堂についた。
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中は護摩修業されているらしい。
副住職様にお願いして昇殿の許可をいただいた。
中央に御厨子があり、その右側にお目当ての方がいらっしゃる!
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まずは左側にいらっしゃるお不動様
ちょっと大阪のおばちゃん(失礼)みたいな髪型が微笑ましい。
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ついに両頭愛染明王さまにお会い出来た!!
まさに異形中の異形!!
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像の高さは36cmと小さいが、やはり両頭のせいか迫力がある。
江戸時代の作で岐阜市の重要文化財に指定されている。
両頭愛染明王は絵ではそれなりに残っているようですが彫刻としては、かなり珍しいのでは?
高野山にもあるようです。
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左側は頭髪がさかだっている。
説明書によると左側が主になるそうだ。
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こちらは右側のお顔
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境内の石仏さんたち
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古さを感じる立派な宝篋印塔
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予約すれば精進料理がいただけるようだ
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お寺に飼われているにゃんこ、すこし気ままだった
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すぐとなりにある公共の日帰り入浴施設。
ネーミングがいい。
鉄泉(茶褐色)と通常の温泉の2種があるようです。
少し中を覗くとおばちゃんパラダイスになっていた。

京都の仏像 六角堂の本尊 如意輪観音菩薩御開帳

六角堂は通称である。
正式名称は紫雲山頂法寺
こちらの本尊の如意輪観音さまの御開帳に訪れた。
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西国三十三所の第十八番札でもある。
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山門を入ると目の前に六角堂が現れる。
向かって右側に大きな柳の木がある。
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こちらは通称、六角柳というそうで昔、后との出会いを求めていた嵯峨天皇が夢で告げられた
六角堂に詣でた時、美しい女性がおり、その女性を后として迎えられたそうです。
それ以来、この柳の枝に2本のおみくじを結ぶと良縁に恵まれるといわれ縁結びパワースポット
として人気があるようです。
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六角堂の正面です。
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奥に六角形のお堂があります。
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六角堂は創建以来、幾度の兵火で消失し現在の六角堂は明治10年(1877)に再建されたものです。
では何故、六角形なのか?
それは六道で苦しむものたちに六角の円堂にして、迷い悩む我々の心を円やかな和になるよう
作っているとか、奥の深い話です。
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今回のお目当てのご本尊御開帳です。
西国三十三所1300年記念行事としての御開帳(御開扉)です。
前回の御開帳は平成21年の西国霊場中興の祖、花山法皇千年恩忌として明治10年の六角堂再建以来
136年ぶりの御開帳でしたが、今回もたまたま記念の年になったということです。
平成28年11月5日から11月14日まで開帳。
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こちらが御開帳記念の散華です。いけばな発祥の地らしいきれいな散華です。
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それでは内陣に参拝です!!
10聖徳太子二歳像
こちらのお寺の開基はなんと聖徳太子さま
太子の護持仏ち伝えられるのが本尊の如意輪観音菩薩です。
11六角堂如意輪観音御前立
通常、外陣より拝める御前立の如意輪観音さま
こちらの裏の立派な御厨子の中に本尊さまがいらっしゃいます。
12本尊如意輪観音坐像
こちらが本尊の如意輪観音さま
像高は約5.5cmです。小さすぎて肉眼ではお姿が確認しづらいです。
写真パネルが展示してあり、美しいお姿が確認できます。
いただいた資料によると以下のような説明があります。
本尊と御前立像では少し違うお姿をされています。
御前立像をお造りになった仏師は御本尊が秘仏だったために拝むことが出来なかったためと
考えられます。
頬を当てておられる右手の角度が御本尊では立てておられるのに対し、御前立像は角度が浅く
肘を貼ったような体勢です。
また、御本尊は首をかしげておられますが、御前立像はほぼ真っ直ぐです。
この首をかしげておられる姿は、お悩みになっておられるのではなく、常に私たちの心の内の
悩みや願いをお聞きになるために、耳を傾けておられるのです。(記事を抜粋)
画像資料:すべてパンフレットより掲載
13夢想の像
この如意輪観音さまに心の内を打ち明けられた方に浄土真宗の開祖、親鸞聖人がいらっしゃいます。
親鸞は100日間のお参りの願掛けをして95日目に夢のお告をこの観音さまから授かり
浄土真宗開宗の契機になったという有名な話があり、この像はまさにお告げを聞いていらっしゃる
お姿です。(本尊の右手にお祀りされています)

以下はお祀りされている仏像です。
14親鸞上人草蛙の御影像
15毘沙門天立像
内陣に入ると左上にいらっしゃるのですが暗い中で結構な迫力です。
16不動明王立像

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かわいい十六羅漢
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一言願い地蔵
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こちらもとってもかわいいお地蔵さん
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生花発祥の地、池坊(いけのぼう)の石碑
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生け花に因んだ絵馬
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へそ石
京都の中心といわれています。
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向かいの京阿月でへそ石餅をお土産にする。
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駒札
25パンフレット
パンフレット

真数千手観音その9 革堂 秘仏千手観音御開帳

西国三十三所の第19番札所、通称、革堂(こうどう)行願寺にお参りしました。
お目当ては西国三十三所草創1300年記念として
秘仏の御本尊、千手観音さまの御開帳、それも特別内拝です。
なぜ内拝がいいかというと通常は1年に1回、1月17日と18日の2日間だけ開帳されるのですが
外陣からの拝観のため、お姿が遠目でよく見えないし
特に私が見たい手の部分がまったく見えないのであります。
それが今回は内拝のため間近に拝めるのであります!
革堂1
ちなみに革堂(こうどう)という変わった名前は、このお寺を開いた行円(ぎょうえん)上人の故事に因みます。
出家する前の行円上人は狩りが趣味で、ある日、みごもっている雌鹿を射止めた時に
その鹿が死に際に子鹿を産んだそうです。
その時、はじめて”いのち”の深さに気づき、今までの殺生を悔やみ仏門に入りました。
それから、その母鹿の革を衣として生涯、身から離すことがなかったそうです。
人々からは「皮聖」(かわひじり)と呼ばれていたことから革堂と呼ばれるようになったそうです。
革堂2
門を入るとすぐに本堂が現れます。
革堂3
早朝8時40分くらいでしたが、すでにお参りの方がいらっしゃいました。
革堂4
現在の本堂は文化十二年(1815)に再建されたものです。
拝観券
こちらが特別内拝券、五百円です。
革堂千手観音御前立
こちらは御前立の千手観音さま
像高は1メートルくらいです。
裏の大きな御厨子の中に秘仏の千手観音さまがいらっしゃいます。
画像資料:学研 西国三十三所観音巡礼の本
真数千手観音⑰行願寺(革堂)
ついに念願の御本尊、千手観音さまにご対面!!
前回は遠目でほとんどお姿が分からない感じでしたが、今回はすぐ目の前です。
やはり通常の千手観音さまとは明らかに違います。
手の脇手(合掌手をのぞく)左右40本の手にそれぞれ
小さな手が無数に貼り付けられています。

この千手観音様は今まで見たことがない手の表現です。
通常は脇手としてお像に差し込まれていたり、光背で表現されるのですが
手がうろこのようになっています!!
像高も2メートル以上あり、かなりの迫力です。
まさしく真数千手観音さま登録です!!
本当にお参りできてよかった感動です。
是非、この機会のご参拝をお勧めします!

画像資料:駸々堂出版 津田さち子著 「秘仏巡礼」より
ちなみにいろいろ探しましたが他では一切掲載されていません。
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境内の西北隅にある高さ3メートル余りの石塔です。
行円上人が本尊を彫る霊木をいただいた加茂の明神を祀ったものだそうです。
御朱印
いただいた御朱印「革堂」千手観音様の梵字

パンフレットコーナー
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