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真数千手観音その12 多摩の清鏡寺

東国は多摩地区に真数千手観音がいらっしゃるという情報は早くから聞いていましたが
なかなか静岡浜松からは遠く、機会が作れないでいました。
ところが多摩市にある多摩美術大学美術館で出身地に近い兵庫県加東市の文化財調査
報告の特別展 「神仏人 心願の地」なるマニアックな催しがあると知り、合わせて訪問する
ことができました。
清鏡寺は多摩モノレールの大塚・帝京大学駅から徒歩10分ほどのところにあります。
地図を見ると帝京大学のキャンバスの一角にあるような感じです。
清鏡寺1
都重宝 御手観音の看板があります。
背後には帝京大学の大きな建物があり、お寺の入り口はひっそりとした感じです。
清鏡寺2
御手観音とは不思議な名前ですが、意味はのちほど説明を受け判明しました。
清鏡寺3
本堂は明治初期の再建のようですが重厚な造りです。
よく見ると屋根や唐破風のところにミツウロコの紋が見えます。
清鏡寺4
もともとは八王子城主だった北條氏照が再興した観音堂が元で明治の再建時も北條家の家紋をつけた
ようです。
清鏡寺5
美しい草花が描かれた天井絵
清鏡寺6
欄間彫刻も迫力があります。
清鏡寺8
立派な厨子には本尊の千手観音
両脇に不動明王、毘沙門天の三尊形式
今は曹洞宗であるが元々は天台宗などの密教寺院に伝わったことが分かります。
清鏡寺9
優しい表情の不動明王
清鏡寺10
こちらは毘沙門天像
しかし本尊の千手観音は新しくどう見てもお前立
では御本尊の真数千手観音はいずこに・・・
清鏡寺11
なんと本堂右奥に巨大な金庫が!!
お目当ての千手観音様はこの奥にいらっしゃるのです!
金庫の中、ガラスケースに入った二体の観音様
清鏡寺12
おー!!美しい観音様
こちらが都重宝(都指定文化財)の木造十一面観音立像は平安後期から鎌倉初期に造られたもので
明治の廃仏毀釈の折に近くのお寺から迎えたいわゆる客仏です。
像高は91.5㎝、近世の漆箔で新しく見えますが、衣文の彫りなどに古様を感じます。
清鏡寺13
さてお目当ての千手観音様は十一面観音立像の左隣にいらっしゃいました。
清鏡寺14
像高は30㎝くらいであろうか、小さなお像である。
ガラス越しで目が慣れるまで時間がかかりますが
清鏡寺15
よく見ると無数の脇手が後ろに長く続いています!!
清鏡寺16
副住職様のお話によると実際、数えた人がいるらしく
その数は980本ほどだったとのことだ。
元々は1,000本あったのだろう。
これほどの小柄なお像に1,000本近くの手があるとは
まさに驚きです。
当然、真数千手認定です。(真数千手学会:笑)
江戸時代のものですが、その強烈な脇手を拝むだけでも十分な感動が
ありますので、関東圏の方は是非お参りされることをお勧めします。
基本は秘仏ですが都合があえば開帳していただけます。
但し、事前連絡で許可を得る必要があります。拝観志納。
清鏡寺17
帰りの参道にもすてきな六観音の石仏がいらっしゃいます。
清鏡寺18
今回は当初一人だけで訪問の予定でしたが仏縁あり5人になり共に感動を分け合うことが
できて素晴らしい見仏となりました。





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真数千手観音その11 法隆寺と達磨寺

奈良県で真数千手観音といえば思いつくのは唐招提寺の千手観音立像(国宝)ですが
実は近くの超メジャー寺院にも真数千手がおわすのです。
といことで向かったのは斑鳩の里です!
DSC_0806.jpg
目の前に見えてきたのは八角円堂
夢殿ではありません、ここは法隆寺の西円堂です。
ここはなんと拝観料(大人1,500円)を払わなくてもお参りできる無料エリアなのです。
無料といっても侮れません。
鎌倉時代1250年に再建されたものですがもちろん国宝です。
DSC_0822.jpg
連子窓の美しい建物です。
正面から中を拝しますと
中央にどかんと薬師如来坐像がおわします。
奈良時代の脱活乾漆造(国宝)で像高246cmもある丈六坐像です。
量感はとにかく豊かで見ごたえ抜群です。
ですがお目当ては真数千手さん
正面右側の連子窓から中を覗くと
真数千手観音法隆寺1
薬師如来を取り巻く十二神将とは離れて東側にポツンと
いらっしゃいました。
真数千手観音法隆寺2
中はうす暗く、目がなじむまで時間がかかりますが
まったく法隆寺では知られていない千手観音さま
確かに手が一般的な42本ではなく、小さな脇手がいっぱいあります。
通常手の間に差し込まれている感じですが
なかなかの迫力です。
真数千手観音法隆寺3
1,000本はないにせよ500本近くあるでしょうか。
造立当時のものではないと思いますが、こちらも真数千手観音認定です。(真数千手学会:笑)
お像の詳しい説明はないですが、文化財資料によると平安時代の作で
国の重要文化財に指定されています。
法隆寺の仏像としでは、まったく取り上げられることはありませんが
ぜひ、見ていただきたいです。
もちろん、そのあとは法隆寺の素晴らしい仏像を拝しました。

そして
法隆寺の近く、王子町の達磨寺を訪ねます。
DSC_0874.jpg
寺名のごとく、あの達磨(だるま)さんにゆかりのあるお寺です。
聖徳太子が飢えた人に身を変えた達磨大師に出会ったという伝説の場所に建っています。
DSC_0873.jpg
立派な扁額には中央に千手観音、左右に聖徳太子、達磨大師とあります。
DSC_0864.jpg
本堂は近年再建され内部は大変きれいです。
聖徳太子
聖徳太子坐像(重文)
眼光するどい、かなりイケメンのお兄さんです。
DSC_0870.jpg
達磨大師坐像(重文)
こちらは優しい感じの達磨さん
真数千手観音達磨寺1
こちらが今回のお目当ての千手観音坐像
真数千手観音達磨寺2
左右から出る無数の脇手が飛び立つ鳥の羽のようです。
脇手の表現がかなり美しいです。
真数千手観音達磨寺33年
脇手の数は約400本、元々は500本あったようです。
室町期の作で市の重要文化財に指定されています。
現状は約400本しかありませんが、こちらも真数千手認定です。
DSC_0878.jpg
拝観は前もって事前連絡されることをお勧めします。




真数千手観音その10 津山市清瀧寺の御開帳

しばらくの御無沙汰となりました真数千手観音を訪ねる旅です。

平成29年4月9日に岡山県津山市の清瀧寺の33年に1度の御開帳に行って参りました。
期間は4月8日(土)9日(日)の二日間だけという短いものでした。
今回は同時期に開帳となった伊賀の勝因寺と奈良博の快慶展の初日、興福寺、兵庫県太子町の歴史資料館
の斑鳩寺庫裏の仏像展を二日間で回る強行スケジュールとなりました。
2.jpg
清瀧寺は中国道津山インターから北上すること10分くらいにある東寺真言宗の別格本山です。
といっても御住職一家だけで支えられているお寺です。
清瀧寺3
ちょうど、桜が満開でまさに33年ぶりの御開帳をお祝いしている感じでした。
清瀧寺4
立派な回向柱が建てられ秘仏の千手観音様につながっています。
清瀧寺5
本堂に入ると奥に立派な御厨子があり五色の紐が千手観音像様につながっています。
思っていたより大きい!期待感が一挙に上がりました。
清瀧寺6
お顔は通常の十一面ではなく三面を持った二十七面像です。
清瀧寺7
おー!!まさに真数千手!!
脇手が扇のように広がっている。
美しいお姿。
清瀧寺8
迫力ありすぎです!!
清瀧寺9
40本の手はしっかり持物を持ち、小さい手は何重にも重ねられています。
清瀧寺10
清瀧寺11
像は現状は津山市の指定文化財であるが今回の御開帳に合わせて改めて調査がおこなわれ、江戸期当たりの後補はあるが
もともとは平安中期の作であることが確認され、貴重な作例であり今後の文化財指定が楽しみとのこと。
真数千手観音としてはまったく無名であるが、こんなに素晴らしい像に巡り合えた清瀧寺12
千手観音の脇侍として時代を感じさせる天部像が祀られていた。
清瀧寺13
彫りは浅く地方仏師によるものか、いい味を出している。
清瀧寺14
本堂に祀られていた大日如来坐像
清瀧寺15
不動明王立像
清瀧寺16
本堂以外にもいくつかの堂舎があり、祇園堂なる珍しい堂があった。
中を覗くと
清瀧寺17
珍しい牛頭天王像がある。
薬師如来の垂迹像として江戸時代初期に祀られたとのこと。
清瀧寺18
こちらは十王堂
清瀧寺19
金色の地蔵菩薩を中心に十王が祀られていた。
うすいブルーの髪をした奪衣婆嬢が素敵だった。
清瀧寺20
満開の桜の中での予想を遥かに超える素晴らしい御開帳であった。
清瀧寺21




和歌山有田川流域の仏像 その2

平成29年1月21日から和歌山県立博物館で開催されている企画展
有田川中流域の仏教文化-安楽寺多宝小塔修理完成記念の報告第二段です。

法福寺の仏像群
平安仏が33体ゴロゴロ発見!!
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観音菩薩立像 113.0cm 平安時代10世紀 町指定重文
宝冠を着けた観音菩薩像
一木で内刳を施していないので重量感を感じます。
堂鳴海山に所在した古代寺院の本尊像の可能性がある。
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地蔵菩薩立像 98.9cm 平安時代10世紀 町指定重文
こちらも一木で内刳を施していない。
前に出した右手先も体部と同木で、錫杖を持つ地蔵菩薩の早い時期の作例
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吉祥天立像 73.8cm 平安時代9~10世紀 町指定重文
手に鍵を持つのは本来は辨財天だがお寺では吉祥天として伝わる。
宝珠を持っているので吉祥天としては間違いではないそうです。
両袖に表された渦巻文様が立体的でがっしりとして重々しい。
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虚空蔵菩薩立像 84.9cm 平安時代10~11世紀 町指定重文
現在は虚空蔵菩薩として伝わるが着衣形式は天部のものなのでもともとは吉祥天や
梵天であったと推察される
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二天立像 85.9cm(増長天) 84.4cm(持国天) 平安時代11世紀 町指定重文
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鉈彫りで粗く作った邪鬼も造像当初のものと見られ貴重である。
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地蔵菩薩立像 98.9cm 平安時代11世紀 町指定重文
右肩を出して、その手で右袖をつかんでいる珍しい姿の地蔵菩薩像
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千手観音立像 97.5cm 平安時代11世紀 町指定重文(パネル展示)
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菩薩形立像 89.4cm 平安時代11~12世紀 町指定重文
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毘沙門天立像 84.7cm 平安時代11~12世紀 町指定重文
頭上の兜に目と鼻が表されています。
九州地方に類例が見られるものです。
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広目天立像 室町時代 町指定重文
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阿弥陀如来及び二十五菩薩像 平安・鎌倉・江戸時代 県指定文化財
平安時代の二十五菩薩が現存しているのは国内でも3例しかないとのこと。
京都の泉涌寺即成院、岩手の松川薬師堂があるぐらいで即成院は15体は江戸時代の補作、
松川薬師堂はすべて破損し断片のみ残っている。平安時代の菩薩像が18体も残っている
宝福寺は相当、貴重なものであることがわかる。
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今回はその中から2体、大威徳王菩薩立像、金剛菩薩坐像が出展されている。
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阿弥陀如来坐像 61.4cm 平安時代12世紀 町指定重文 (パネル展示)
本堂に安置されている本尊像
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二天立像  65.8cm(増長天)68.5cm(多聞天)平安時代12世紀
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これほどまでの味のある表情の平安仏はそういないと思います。
時間をたっぷりかけ、博物館でお会いされることをお薦めします。
是非、和歌山県立博物館の有田川流域の仏像に会いに行ってください。
期間は3月5日までです。
なんとすべて撮影可能という仏像写真ファンには嬉しすぎる博物館です。



和歌山有田川流域の仏像 その1

平成29年1月21日から和歌山県立博物館で開催されている企画展
有田川中流域の仏教文化-安楽寺多宝小塔修理完成記念を見学しました。
1-3
当日は主査学芸員の大河内先生による講座を拝聴し、知らないで見ているとただの
地方仏が、実は大変面白いもので、また仏像から地域の仏教文化が読み取れるという
推理に似た面白さを体験させていただきました。
館内の写真撮影OKといのも写真好きには嬉しいです。
聞いた講座といただいた資料を元に簡単に案内しますが間違っていたらごめんなさいです。
実際に見学していただくことをお勧めします。
1-1
高野山を源流とする有田川(元は阿弖川:あでかわ)流域は当初は安諦郡(あでぐん)と呼ばれていたそうですが時の平城天皇の名前(安殿親王:あでしんのう)と同じ読みであることから現在の有田郡に改められたそうです。
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高野山に近いこの地域、実は高野山の荘園ではなく京都のお寺が支配していたそうです。
ここは高野山にとってどうしても欲しい土地(悲願の土地)だったようで、そこから今では考えられないようなお寺&お坊さんの血なまぐさい物語が始まるのです!!
なんとこの土地は弘法大師が高野山開創の時にもともといた丹生明神から譲り受けた土地であると絵図や書物に記載し正当性を訴えています。
この話はとても怪しく、この土地が欲しくて仕方がないので勝手に作った作り話のようです。
僧兵も三千人くらい雇っていたので、領地(荘園)を広げることは死活問題だったのかも
しれません。
うまく朝廷に働きかえ領地を取ったと思ったら、京都のお寺にまた取り返されたりと
鎌倉時代までずっと揉めまくっています。
最終的には荘園を支配していた地頭(湯浅氏)にうまく近づき味方につけやっと高野山領になると手のひらを返して湯浅氏を攻め滅ぼそうとします。
結局、滅ぼすことはできず、南北朝時代に湯浅氏を地頭にしたままで高野山領となったようです。
いわゆる湯浅氏の中間搾取がいやだったのでしょう。全部欲しいといことかもしれません。(笑)
1-4
安楽寺
今回、修理を終え美しい姿に甦った安楽寺多宝小塔が何故、存在するのか残された仏像から読み取ることができました。
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多宝小塔自体は南北朝時代の建立で国内に残っている多宝小塔の中でも最古級で最も質が高く単独建造物では唯一国の重要文化財に指定されています。
建物四面の内、正面部分だけが他の面よりも圧倒的に木の腐食があり、一般的に堂内に祀られているのではなく鞘堂の中に正面部分を開放されていつでも外から拝めるようにしていたことが分かったそうです。
ここにも読み取れる歴史があります!!
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ただ、中に本尊として祀られている大日如来像はまったく語られることもなく未調査のままだったようです。
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こちらの大日如来は平安後期11世紀ごろの造像で高さも20.6cmと小さなお像です。
一般的には多宝塔に祀られる大日如来は智拳印を結んだ金剛界のものになりますが
こちらは定印を結んだ胎蔵界の大日如来。
では何故、胎蔵界なのか?
それは高野山の大塔(五間四方の大きな多宝塔のこと)の本尊がまさしく胎蔵界の大日如来で高野山の宗教的シンボルの例に倣ったものと考えることができます。
ちょうど多宝塔が建立された南北朝時代は、この土地が高野山領になった時と重なります。
領民に知ら示すためにも高野山領である大きなイメージと権力の象徴のためのものだったと推測できます。
そんなことを小さな大日如来さんから読み解くことができます。
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こちらは安楽寺と書かれた扁額
ここでも面白い発見があったようです。
扁額と多宝小塔の床板が同じ木から作られたことが解体修理で判明しました。
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阿弥陀如来坐像 87.5cm 平安時代12世紀 町指定重文
京都のお寺(寂楽寺)が支配していた時に京都の仏師が関与して造像されたと考えられる。
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観音菩薩立像 69.3cm 平安時代12世紀 (初公開)
阿弥陀如来坐像と作風も共通しているので三尊として造像されたと思われる。
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台座も平安時代当初のもので貴重なものである。
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四天王立像 平安時代から室町時代 初公開
異なる二組の二天像からなる四天王で増長天・持国天は12世紀の作
こちらは造形からも在地の仏師の作と考えられる。
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色は塗りなおされているが、この地域に伝わる四天王の味わいを感じ取れる。
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薬師如来坐像 日光菩薩立像 平安時代12世紀 町指定重文
(パネル展示)
安楽寺の本尊とその脇侍像
ただ、寺号のごとく本来の本尊は阿弥陀如来と考えるのが正しく、もとは消失した東光寺
の本尊像であったと考えられる。
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下湯川観音堂に伝わる仏像
調査すると平安時代の仏像がごろごろあった
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観音菩薩立像 69.3cm 平安時代 パネル展示
観音堂本尊で在地仏師の作と思われる。
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阿弥陀如来坐像 44.4cm 平安時代11世紀 初公開
平安時代末期に造られた、きりりと整った風貌が特徴の新発見の阿弥陀如来
小さな像であるが端正な顔立ち、残念ながら腐食が激しく印相が確認できないが
台座に南無阿弥陀仏と墨書されているので阿弥陀如来として伝わっています。
像のそこには「運慶作」と記されています。
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確かに運慶作としたくなるほどのよい仏像である
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二天立像 71.5cm 73.1cm 平安時代11世紀 初公開
湯川川流域の最古の像とのことです。
板光背も平安時代のもので裾の部分(裙)が足元まで広がっているのは
かなり古様のようで目が飛び出している特徴などを考えると9世紀から10世紀まで
遡れるのではと議論が出ているそうです。
個人的にはこの二天、ものすごく惹かれるものがあります。
なので視点を変えて何枚かご紹介!
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僧形坐像 17.7cm 室町時代15世紀 初公開
こちらも腐食が進み痛々しいお姿である。
僧侶の姿が彫られたものだが、台座が蓮であるが本来、僧侶の像が乗ることはないそうです。例外としてはお練り供養があるとのこと。
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當麻寺に伝わる来迎会(練供養)では先頭を歩く観音菩薩の手には蓮台に座った往生者(中将姫)の姿が見える。
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また、菩薩面の髻(もとどり)部分も残っており、この僧形坐像は来迎会の練供養に
使用されたとう推測ができる。
当地の老人に聞いてもだれも過去に練り供養があったという話は聞けなかったようです。
ここに来迎会があったとすると高野山麓では2例目の発見となるそうです。
こちらも腐食の進んだ僧形像が私たちにメッセージを伝えているのかもしれませんね。

牛連寺
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破損仏群 平安時代12世紀
牛連寺護摩堂内に伝来した小さな破損仏
今から850年くらい前の仏像が頭や手足を失いながらもの
守られています。
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これ以外のも法福寺には平安時代の仏像がごろごろ安置されていたようで
別に報告させていただきます。
今回なにげない古い仏像からこの地域の歴史、伝承を裏付ける推測が成り立ったこと
「仏像は語っている」ことを感じました。

是非、和歌山県立博物館の有田川流域の仏像に会いに行ってください。
期間は3月5日までです。
なんとすべて撮影可能という仏像写真ファンには嬉しすぎる博物館です。

その2に続く!






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